4年前にやんごとなき理由でマンションを購入した。
3年の間は固定資産税が優遇されていて、思ったよりも割と負担が少なかった。なんだ賃貸より良いじゃんと思っていた。しかし、4年目から優遇制度が適用外になり、どっと固定資産税がかかってきた。途端に火の車になる家計。さらに言うとあと6年経つと住宅ローン控除もなくなり、さらに家計がヤバくなることは火を見るよりも明らか。
しかしそう考える中で思ったのは、「稼げ!」ということもさることながら、今まで当たり前だと思っていた物の価値の大きさだ。
お風呂に入りながら思ったのは、このお風呂の気持ちよさは何時もと一緒のはずだが、頑張って(稼いで)払ったからこの気持ちよさがあるのだという感覚。僕が年収1000万円だったら、多分微塵だに感じる事の無かったであろう幸せ感だ。
この達成感は、単に稼いだ量に比例するわけではなく、足ることを知った時…もっと言うと、その足ることが自分の力量よりも微妙に上だという感じがあった時、達成感があって、幸せに思えるのだと思う。
どんなに稼いでいても、どんな豪邸に住んでいても、それが簡単に手に入るようでは、あるいは手に入れるのは難しかったかも知れないけれど、今現在のほほんと暮らしているようでは、達成感、幸福感を感じ続けることは難しいのではないか。自分を支え、家族を支えているという幸せ。自分の足で地面を踏みしめ続けている感覚、と言えば良いか?まぁ、自分の力だけではないことは明白だけれど、それでも自分が立ち続けるのをやめてしまえば、その世界は終わり、完全に人の好意でしか生きられない世界になる。という意味では自分のアイデンティティをそこに見出しても悪くはあるまい。
金が足りん足りんとぶちぶち文句を言っている、いや、もっと言うと、文句を言えているうちが花なのではないかと思った次第。ま、そうは言ってもお金はあったほうが良いとは思うけれど。